激動の昭和、発展の平成、そして令和時代へ向けて
当社の原点、鉄道橋りょうの塗装
明治5(1872)年、新橋・横浜間で開業した日本の鉄道は、その後、40年で全国に10,000km以上敷設され、今日では約27,000kmまでに及んでいます。
鉄桁橋梁の塗り替えは、鉄道構造物の塗装需要が始まった明治40(1907)年頃に当時の鉄道局工事部からの依頼で日本ペイント㈱に塗工部が新設され、静岡県蒲原地区を中心とした実動部隊により開始されました。
「鉄道塗装工業株式会社」創立
日中戦争の最中、昭和14年、日本経済が不況下にあり、塗装業界は、労働力不足、材料入手難、同業社乱立による悪弊横行など多くの問題を抱え、円滑な鉄道塗装工事の遂行が難しくなっていました。
そこで全国の鉄道省塗装工事指定請負業者48社が結集し、合同会社「鉄道塗装工業㈱」が発足されました。
国鉄依存から脱却し、一般工事にも進出
敗戦により日本は焦土と化し、戦後の厳しい情勢の中、昭和24年に誕生した国鉄の施設請負工事は従来の指名業者内定制から一般競争入札による契約方式へ移行されました。国鉄の橋りょう塗装に依存していた当社は、諸官庁や私鉄、電力会社、道路分野といった一般工事への進出を図り、活路を求めました。
鉄道橋りょうメンテナンス「建設塗装工業株式会社」に社名変更
昭和30年代の経営難を方針転換と体制刷新によって乗り切った当社は、昭和36年に社名を「建設塗装工業株式会社」と改め、東京オリンピック以降は、国鉄の赤字拡大の一方で公共事業の促進などにより業績を伸ばし、昭和62年には国鉄が分割民営化され、鉄道事業者の経営も安定し、さらにバブル経済等が追い風となり、受注工事も拡大し、経営も順調に推移しました。
この間、会社発足50年が過ぎた平成2年には、特務現業員と塗装技能員グループを分離・独立させた「ケント工業㈱」の設立や、安全施工を目指した「ケント式吊り足場」の技術開発なども行われました。
事故ゼロを目指した安全施工の追求
マンション大規模改修工事を主体とするリフォーム事業や官公庁や東京電力関連の鋼構造物の塗装を請負う鉄構事業の展開に加え、鉄道事業者のパートナー制導入などにより受注機会も拡大しましたが、事業拡大に伴い墜落等の事故も増加傾向となり、改めて安全施工や品質管理に重点をおいた取組みを進めました。平成21年には鎌ヶ谷の資材センターに研修用として模擬トラス橋梁を新設し、足場仮設や塗装技術の実技研修を開始しました。
マンション修繕および建築事業 鋼構造物塗装FRPパイプ足場等新しい技術の追求
感電事故防止の観点から開発に取り組んだ仮設足場用のFRPパイプは、単管パイプの足場と同等の安全性が証明され、平成8年に「FRPパイプを用いた棚足場」として、また平成24年には「FRFパイプを用いた足場(本足場)」として(一般社団法人)仮設工業会の承認を受け、さまざまな工事現場での利用促進が図られました。
また、この頃には平成5年に本格的に立ち上げたリフォーム事業は660戸の大規模マンションや、地上29階の超高層マンションも手掛けるようになり、受注高も全社の3割を占めるようになりました。
将来に向けて企業の基盤を再整備
全社初の中期経営計画(第1次:平成27年度から3ヵ年)に続き、第2次の中期経営計画として「KT2020」が策定され、これまでの積み残された課題に取組み始めました。特に安全施工や工事コスト削減、技術開発などの一層の推進を標榜し、組織再編などを行いました。
令和新時代に入り、時代が大きく変化する中でさらなる成長を目指し、2021年度からは第3次中期経営計画「NS2023」の取組みをスタートしています。
変革の時代にチャレンジして
次のステージへ
Challenge